2011年5月4日水曜日
昔のブログを引っ張り出してきました
こんなボランティアに燃えていた時期もあったなぁ~~最近TVでよく見かけるようになり、心も気力もなえてしまった。
ラオス、カンボジアに行って来ました。たった一週間ですが内容の濃い<旅>となりました。見、聞きしていたことと現状をこの目で見極めたかったことがありどうしても行きたくて〜〜ちょっと暑いけど、ちょっと危険だけど、でもそんなこと言ってたらいつになっても行けませんからね。現実、やはり戦争の犠牲者が多く貧しさが目を引きました。
遂何年か前に<戦争>がこの地で実際に起こっていたなんて信じられないくらい田舎で人々は静かで穏やかでした。ちょうどカンボジアではポルポトの映画が上映されていて、認識勉強不足の私が露呈した感じでしたが、戦争の被害者は<一般国民>ばかりが被っているのは日本も同じと思いました。私が子供の頃みた白い服を着た片足のない兵隊さんの物乞いがこうして時代をへてもこの国にはいたるところに存在し戦争の傷後が見られるのです・手をどこかで差し伸べたいといつも思っていたのですが、なかなか何処でどうしたらよいのかわからず、一度自分で観てから考えようと思ったのが今回の<旅>の目的でした。
東南アジアのタイ(この国だって豊かではない)の一人当たりの年収を一と考えるとカンボジアはその三分の一。ラオスに至っては六分の一なのですからどんなに収入が低いか解ると思います。日本人が敗戦してここまで大きく?豊かになれたのは物を作り出す緻密な頭脳と勤勉さがあったから?でもそんな日本ももはや種切れ状態。カンボジア、ラオスには学問を<学ぶ><学ばせる>という体制、義務教育もないのです。
彼女の家には昨年日本人が出費して掘った井戸が出来ました。この辺りは地盤がまだよい方で,いくら掘っても水が出てこない地域が多いいとのことです。家の裏にある井戸の横にはたいそうに日本人の名前を掲げた看板が大きく立てかけてありました。「私がほりました」ふうに、、
そいうえば国道を走っていると道の左右にローマ字の日本人名を多く見かけました<○○○小学校><××図書館>名前なんか付けなくてもいいのになぁ〜なんて思いつつ随分日本人もいろいろと援助をしているようです。樺太のほうで<むねおハウス>なんてもん作った人が頭に浮かび、美しい話が曇りました
投稿者 mamasparade 時刻: 15:05 0 コメント
ラベル: とうひこう
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